こどもの頃の原体験

小学生の頃、夢中になって読んだ本があります。
ケニス・M・スエジー著、金沢 養訳 の「科学マジック アマチュア実験室」という全3巻の実験解説書です。
この本では、物理や化学に関する手軽で初歩的な実験が、おもしろく脚色されて紹介されており、全ページ白黒の本であるにもかかわらず、こどもごころをワクワクとさせるものでした。

この本のおかげで、ケイ酸ナトリウム(水ガラス)の中に、硫酸銅、塩化コバルトなど様々な塩類を“種子”としてまくと、色鮮やかな結晶から、森林の木々のように枝がニョキニョキと伸びてくるという「ケミカル・ガーデン」のことを知りました。それは、夢にまで出てくるようになり、ついには大人の人たちを巻き込んで、実際にその「庭園」を作ってみる体験をすることができたのでした。

もう一つの原体験は、小学校3年から通い始めた陶芸教室です。素焼きに掛ける釉薬は、乾燥した時にサラサラとした粉状のものなのですが、800度以上の窯の中にヤットコで入れると、まぶしい炎の中で釉薬が溶けていくのでした。十分に焼かれたあと、真っ赤に光を放つ焼き物が窯から取り出され、さやの中で急冷させるうちに、その色がどんどんと変わっていく様子にも目が奪われたものでした。顔にあたる炎の熱さや、焼き物が冷えて貫入(細かいヒビ)が入る時の涼やかな音とともに、その思い出は忘れ得ぬものとなりました。

美しいものは、人を惹きつける

美しいものは、人を惹きつけます。北大路魯山人の言葉を引用すると『私の人生は生来「美」が好きだ。人の作った美術も尊重するが、絶対愛重するものは自然美である、「自然美礼賛一辺倒」である。山でも水でも石でも木でも、草木、言うにおよばず、禽獣魚介その他なんでもござれで、皆が美しくてたまらない。だから絶対好きである。自然美なしに私は生きて行かれない。』

自然科学というものも、その奥に秘められた純粋な美、ものごとの真の姿=イデアというものを紐解いていく、という行為につながるのではないでしょうか。東京大学 定量生命科学研究所の白髭克彦所長は、自然科学・サイエンスのことを「ものごとを観察し、そこで観察したことを自分で説明してみる、その説明は正しいのか、繰り返し実験で確かめてみる。うまくいかなかったら、それはなぜかまた考えてみる。」そうして、本質に近づいていく、ということの繰り返し、が科学というものだと語られています。

この科学的なアプローチ、過去の自分さえも否定しながら、真実へ近づいていこうとする謙虚な姿勢があってこそ、人々は素晴らしい未来へと進んでいけるものと思います。

科学に関することは、常に仮定と検証の途上にあるものであり、「絶対」と言い切れないこと、わからないことがまだまだいっぱいあります。その点がなかなか理解されずに、「科学」と言えば、証明し尽くされた絶対的なもの、かのような説明がされることが、まま あります。だからこそ科学者には、謙虚な心を持って、できる限り正確に、できる限り誤解の無いように説明することが求められます。

本質を把握して、伝える。はしょるのではなく。

KDは、できる限り 今現在わかっていることを理解し その本質を把握して、それをどのように表現したら多くの人たちに理解しやすくなるか、興味を惹くことができるかを考え、こどもたちにさえも伝わるようにするにはどのように伝えたらよいかを工夫して、科学的な見地に立った、伝え方のお手伝いをしたいと考えています。

ただ単に端折ってわかりやすくするのではなく、伝えた相手が、おもしろい!美しい!惹かれる!自ら理解したい!と、進んでその本質や複雑さに飛び込んでいってもらえるようにしたい、と思っています。

KD代表 三輪 喜良


※文章中で、当初、焼き物の焼成温度を1200度以上と書いておりました。通常の陶器焼成の場合は1200度から1300度、磁器の焼成の場合は更に高い温度で焼成されますが、私が小学生の頃に体験した高橋一翠先生の教室では、急熱急冷法の「楽焼」釉焼成を時折りおこなっており、その時の焼成温度は、修正した通り、800度以上、900度前後の温度であったということを高橋先生の著書にて確認いたしました。この温度は、陶器・磁器の本焼成温度としては低い(素焼きの時の温度よりも少し高い程度の)ものでありましたが、窯の中を覗き見て、美しい炎の色、焼き物の熱さを体験するには、十分なものでありました。確認が不十分でありましたことを、ここにお詫びいたします。
(参考文献:楽焼のすべて 著者:高橋一翠 発行:主婦と生活社 昭和48年10月30日発行)